SHIMA SEIKI 島精機製作所

歴史

歴 史

SHIMA SEIKIの創業者、島 正博の原点から今日までに至る歴史を年表形式でご紹介します。

島 正博

1937-
創業前史

創業者島 正博の原点と会社設立まで

創業者・島 正博は、幼くして戦争で父親を亡くし、戦後の貧困の時代を、そのハングリー精神で生き抜いた一人でした。

中学生の頃に隣家の修理工場で働いたことが「手袋編み機」との出会いとなり、「二重環かがりミシン」や「ゴム入り安全手袋」など数々の発明を生み出していきます。

正博が19歳で定時制高校を卒業後、手袋編み機の全自動化に向けた技術開発を進めながら、機が熟したと判断し、島精機製作所の前身となる「三伸精機株式会社」を共同設立したのは、1961年。

しかし、順調な手袋編み機の半自動装置の製造にウェイトをかけようとする共同経営者と、「全自動手袋編み機」の開発にこだわる正博の間に溝が生じて会社が分裂し、新たに株式会社島精機製作所(以下SHIMA SEIKI)が産声を上げたのは、1962年でした。

世界初の全自動手袋編み機の開発

1962

世界初の全自動手袋編み機の開発

「全自動手袋編み機」の開発を目指し裸一貫で船出したものの、当初開発した「全自動シームレス手袋編み機(初期型)」は実用化が困難とされ、多額の負債を抱えることとなります。

1964年の年末、倒産寸前の危機に追いやられるも、正博は1週間の不眠不休で「全自動手袋編み機(角型)」の開発を成し遂げ、会社を立て直すことができました。

この「全自動手袋編み機(角型)」は後に日本機械学会の「機械遺産」に認定されます。

横編機業界への進出

1967

横編機業界への進出

市場が小さい手袋編み機だけは満足せず、横編機業界への進出がスタート。

1967年、SHIMA SEIKIが所有する約30件の特許技術を備えた世界初の全自動フルファッション衿編機「FAC」が誕生。

1968年、SHIMA SEIKIは本社と工場を坂田に新設移転し、横編機メーカーとしての本格的なスタートを切りました。

国際展示会ITMA展へのデビュー

1971

国際展示会ITMA展へのデビュー

1971年、メカニック機種を相次ぎ開発し、欧州の同業編み機メーカーからも注視される中、世界的な展示会「ITMA展(国際繊維機械展)」へのデビューを果たしました。

1973年に第一次石油ショックが世界を襲い、SHIMA SEIKIも厳しい経営危機に直面。しかし、敢えて人員整理を行わず、逆転の発想で最新鋭の工作機械を導入することで、飛躍的な技術革新を遂げることに成功します。

横編機業界に進出してから10年、いつしか国内のトップメーカーに躍り出ていました。

コンピュータ制御横編機の興隆

1978

コンピュータ制御横編機の興隆

やがて、横編機は自動化という第一次革新期を経て、電子制御による第二次革新期を迎えます。

1978年、SHIMA SEIKIでは「性能が倍で値段が半分」がうたい文句のコンピュータ制御横編機「SNC」を開発しました。

シマトロニックデザインシステムの誕生

1981

シマトロニックデザインシステムの誕生

一方で、1979年、NASA(アメリカ航空宇宙局)から払い下げられたグラフィックボードを入手し、コンピュータのハードウェアの開発に着手、1981年にはシマトロニックデザインシステム「SDS-1000」を開発し、ニットの柄組みのスピードアップに絶大な力を発揮します。

「SDS」は横編機の柄組み用に開発されたものでしたが、その後、その優れた性能によりテレビ局など幅広い業界において注目を集めていきました。

国際元年の幕開け

1983

国際元年の幕開け

1983年のミラノITMA展では企画から販売にいたるまでトータル志向の『アパレル・マルチ・デザイン・システム』を提案し、「世界一の横編機メーカー」のお墨付きをいただきました。

手袋編み機、横編機に加え、コンピュータグラフィックスという三本目の柱が育つ中、1984年、国際元年の幕開けを迎え、海外拠点の開設を展開していきます。

第二世代のコンピュータ横編機

1987

第二世代のコンピュータ横編機

ブラックマンデーが起こった1987年、120年の歴史を誇るスイスの名門編み機メーカーが倒産しました。

「これまでの延長線上の編み機では通用しない 時代のニーズに対応した編み機を」

社運をかけ、試行錯誤を重ねて1988年に第二世代のコンピュータ横編機「SES」を開発。

上場と新社屋の完成

1990

上場と新社屋の完成

1990年には大阪証券取引所市場第二部に上場を果たし、同時に新本社ビルを完成。

1991年には、生地自動裁断機「P-CAM」の完成で、国内では初めてのCAD/CAMメーカーとなりました。

さらにCG分野をはじめとするシステム機器の分野にも裾野を広げていきます。

世界初・ホールガーメント横編機の誕生

1995

世界初・ホールガーメント横編機の誕生

時代は産業の空洞化が進み、押し寄せるグローバル化の流れの中、国内での生産にこだわり、労働集約型産業から知識集約型産業へ転換のために出した結論は「完全無縫製型横編機(ホールガーメント横編機)」の開発です。

1995年、その姿がベールを脱ぎました。『東洋のマジック』と賞賛されたホールガーメント横編機「SWG」は、たった30分で糸から1枚のセーターを編み上げ、「縫製をなくす」という革新的なソリューションで業界に歴史的なインパクトを与えました。

1997年、「洋服感覚」の製品づくりを目指し、ホールガーメントの魅力を高めるために開発した「スライドニードル」(編み針)は独自のニットファッションを生み出していきました。

新たなる挑戦の開始

2000

新たなる挑戦の開始

一方、デザインシステムにおいては、オールインワンのコンセプトのもと、革新的な新デザインシステム「SDS-ONE」が誕生。

2002年には、無製版型インクジェットプリンタ「SIP- 100F」を開発し、「SDS-ONE」を核とする「トータル・ファッション・システム」は、「SIP」と「P-CAM」の連携を強化し、業界の活性化に大きく貢献していきます。

創立40周年イベント(2002年)ではイタリアからの著名スタッフによる本格的なファッションショーを地元和歌山で開催し、さらなる発展を誓いました。

環境配慮型企業を目指して

2002

環境配慮型企業を目指して

当時は環境問題に対していかに取り組むかが企業の大きな課題となっており、太陽光発電設備の導入や環境配慮型工場の導入を進めていきます。

「よい環境でなければ、よい製品は生まれない。人にも地球にもやさしい取り組みをこれからも頑張っていきたい」当時社長の島 正博の言葉です。

効率化を求めて

2007

効率化を求めて

製造する編み機の機種は二つに大別されていきます。労働集約型産地向けの量産目的の汎用編み機と消費地生産向けのホールガーメント横編機に分けた対応を展開していきました。

2007年、超高速ホールガーメント横編機「MACH2X」とホールガーメントの立体表現を可能にしたデザインシステム「APEX」を開発し、ニット生産の効率化を進めていきます。

ホールガーメントが宇宙に!

2008

ホールガーメントが宇宙に!

無縫製の技術はその特性が認められ、2008年、スペースシャトルでの日常服に採用され、ホールガーメントは宇宙に!

また、同年に、編み機の歴史を展示するとともに未来を担う子供たちにもの創りの魅力を体験してもらえる場所として、ニットミュージアムを開設しました。

50周年の節目を迎えて

2012

50周年の節目を迎えて

2012年、創立50周年を迎えました。

ホールガーメント横編機の専用組立工場を竣工。

デザインシステム「SDS-ONE APEX3」から繰り出される3次元でリアルなシミュレーションによる提案はユーザーに衝撃を与え、「トータル・ファッション・システム」の浸透はさらなる加速を進めました。

P-CAM関連ではアパレル以外の異業種への参入も始まり、複合材料展や航空展などで高い評価を受けました。

ホールガーメントがデビューして20年

2015

Innovation Coming of Age

ホールガーメントがデビューして20年。

「中期経営計画」の策定により、次の50年に向け、会社全体が同じベクトルに向かって取り組みを進めていきます。

2015年のITMA展ではホールガーメント横編機「MACH2XS」をはじめとする18機種を出展し、2016年のITMA ASIA展においてはハードだけではなく、ソフト面でもSHIMA SEIKIの強みを活かした「Shima KnitPLM」(ネットワーク管理システム)、「staf」(ファッションアーカイブ&トレンド情報)をデザインシステム「SDS-ONE APEX3」と融合させ、サプライチェーンの新しい姿を提案しました。

イノベーションへのあくなき挑戦

イノベーションへのあくなき挑戦

2017年、55周年を迎えるにあたり、島 三博が新社長に就任し、さらなる強力な経営基盤が誕生しました。

「世の中にないものをつくれ、そして、なくてはならない企業になれ」

これからもSHIMA SEIKIは、「愛」「創造」「氣」を合言葉に「Ever Onward ―限りなき前進」を経営理念とし、
事業の持続的発展により「世の中になくてはならない企業」を目指して、新たなステージを創造していきます。

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