SHIMA SEIKI 島精機製作所

創業者・島 正博

創業者・島 正博
―紀州のエジソン―

「愛」「創造」「氣」
今日、仕事を愛したか。
今日、やる氣を燃やしたか。
今日、新たな価値を創造したか。
そんな日々の積み重ねが未来を開く。

創業者・島 正博

会社設立に至るまで

1937
和歌山市東長町で生まれる
8歳にして戦争で父親を亡くし、戦後の混乱の時代を生き抜く

島 正博の原点

島 正博の原点
  • 農業荒地開墾、野菜作り
  • 漁業ウナギ捕り、魚釣り
  • 畜産養鶏、狩猟
  • 商業そろばん、独自の計算式
  • 工業手袋編み機との出会い
1953
「二重環かがりミシン」を開発、製造
二重環かがりミシン

「作業手袋編成機の支針板自動旋動装置」を開発(実用新案出願)

紀州のエジソン

十代の頃から発明に熱中し、16歳で手袋編み機の特許を取得。

    少年時代の発明
  • アルミ板を折り曲げて二重構造にした「さめにくい弁当箱」
  • ハンドルと連動して同じ方向へ動く「車のヘッドライト」
  • 自転車の発電ランプをワンタッチで動かすレバー
  • 自動車の方向指示器
  • 緩みにくいボルト

出願件数:国内外をあわせて約1,100件

1955
「ゴム入り安全手袋」、「ゴム糸挿入装置」を開発
1956
和歌山県立和歌山工業高等学校定時制(機械科)を卒業
作業用莫大小手袋に関する実用新案を出願
1958
回動式横編機用シンカーを特許出願
1959
回動式シンカーによる連結部編み目の複合装置を特許出願
1960
「手袋編み機半自動動力装置」を開発
手袋編み機半自動動力装置
1961
島精機製作所の前身となる三伸精機株式会社を設立し、「島式手袋編み機」および「半自動装置(手袋編み機半自動動力装置)」を製造、販売
島精機製作所

手袋編み機の全自動化を目指して

1962
和歌山市手平に移転し、手袋編み機の全自動化を目指して、株式会社島精機製作所に商号を変更
1964
一週間不眠不休で大晦日に「全自動手袋編み機(角型)」の開発に成功
全自動手袋編み機(角型)
1965
新年3日の「全自動手袋編み機(角型)」の展示会は大成功を収め、大量注文を得る

無縫製ニット「ホールガーメント」のひらめき

手袋の指三本をくっつけると セーターができるはず!

無縫製ニット「ホールガーメント」のひらめき
受賞歴

受賞歴

1972
第14回科学技術功労者表彰 科学技術庁長官賞
1979
第25回大河内記念技術賞
1988
紫綬褒章(当時の全国最年少)
1993
テクニカ社 第7回オスカー賞(イタリア)
1993
クランフィールド工科大学 名誉工学博士号(イギリス)
1994
テキスタイル・インスティテュート ジュビリー賞(イギリス)
2002
毎日ファッション大賞 鯨岡阿美子賞
2002
藍綬褒章
2007
第53回大河内記念生産特賞
2010
イタリア国家勲章 コメンダトーレ章
2014
ドレクセル大学 名誉経営学博士号(アメリカ)
2017
旭日中綬章
2017
ノースカロライナ州立大学テキスタイルカレッジ 名誉科学博士号(アメリカ)
創業者・島 正博
コンピュータにできないこと

島 正博 語録

コンピュータにできないこと

コンピュータに愛すること、創造することは期待できない。
ひらめきや創造性は人間に特有のもの。
人間はコンピュータをうまく活用し、
人間らしさをいかに創出するかが今後のテーマだろう。
私は人間の力を強く信じている。

蜘蛛は真ん中に陣取り、獲物を獲っては常に真ん中に戻る。
それはなぜか?
真ん中にいると、獲物がどこにかかったとしても効率的に動けるからである。
何か新しいものを生み出そうと思った時には、原点に戻ること。
巣の中央にいる蜘蛛のように、360度を柔軟に見ることで、新しいものを創造しやすくなる。
「なぜ、蒸気機関車は後ろではなく、目指す方向である前へ進むのか?」
毎年、新入社員を前に同じ質問を発していた。
答えは車輪の軸に90度の違い(位相)があるからであるが、正答を返せる新人はまずいない。
「なぜかな?」という疑問から開発のエネルギーが生まれてくる。
「ギブ・アンド・ギブ」ではない。
「ギブ・アンド・ギブン」というところがミソである。
会社の儲けやシェアは、顧客が潤った後に回ってくるもので、
与えることに徹していれば、その結果としてついてくるものとの考えである。
たらいに10センチほどの水を入れる。
儲けてやろうとして、水を手前に引き寄せる。
一瞬15センチに盛り上がったとしても、すぐに水は指の上や間から抜けていく。
逆に向こうへ押しやると、たらいの縁にぶつかった水は結果的にこちらに帰ってくる。
つまり、利益はめぐってくる。
まず、お客さんに喜んで、儲けてもらうことが大事。
客先が潤ってこそ、次のオーダーやさらなる客先の紹介を呼び込めるというわけである。
会社を興してからこの姿勢を貫いてきた。
必要とする工作機械や部品、工具がなければ、自分の頭と手を使って生み出せばいいという考えである。
安易に外部に頼っていては融通が利かないし、モノづくりのノウハウ、勘、智恵などが蓄えられない。
島が嫌う言葉に「できない」という文句がある。
できないというのは、やる気のない証拠ではないか。
できない証明で時間を費やすよりも、
どうしたらできるか、うまくいくかという意識をもって仕事に当たれと訓話する。

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